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杉本嘉昭と横山一美の顔画像「示談金200万獲得から死刑囚に転落」アンビリバボー

28日に放送されるアンビリバボーで福岡県北九州市小倉で病院長を務める鷹野秀樹(仮名)が殺害された事件について特集されます。これは1979年に起きた北九州市病院長殺害事件です。

当時北九州市にあった津田病院で院長を務めていた本名「津田薫(かおる)さん」が殺害され、遺体がバラバラにされた状態で発見事件です。犯人の正体は「杉本嘉昭(すぎもとよしあき)」と「横山一美(よこやまかずみ)」。

杉本嘉昭と横山一美の殺害動機は北九州で名の知れた資産家であった津田薫さんの資産を狙ったものでした。事件が起きた翌年に杉本嘉昭と横山一美は逮捕され1988年に死刑判決を受けます。その後二人とも1996年に死刑が執行されています。

事件が起きる前、杉本嘉昭は釣具店を横山一美はスナックを経営。いずれもお店の売上は順調でした。しかし、杉本嘉昭が横山一美のスナックに訪れて知り合ったことをきっかけに凶悪事件へと発展していきます。

杉本嘉昭の顔画像【アンビリバボー】

北九州市病院長殺害事件 犯人である杉本嘉昭の顔画像

(画像:杉本嘉昭)

杉本嘉昭のプロフィール
  • 名前:杉本 嘉昭(すぎもと よしあき)
  • 生年月日:1946年10月19日-1996年7月11日(享年49歳)
  • 出身地:福岡県行橋市
  • 職業:釣具店経営(「徳力釣具店」)
  • 結婚:既婚(離婚歴有)

上記が杉本嘉昭の顔画像です。40年前に起きた事件ということもあり画像はほとんど出回っておらずこちらの一枚のみでした。杉本嘉昭は1946年10月19日生まれ。逮捕された1980年当時の年齢は33歳になります。

頭部は一番上の部分を中心にほとんど生えておらずいわゆるM字ハゲの状態になっています。50代ぐらいと言われても不思議ではありません。

40代後半~50代に見えます。上記の杉本嘉昭の画像がいつ撮影されたかは不明ですが逮捕直後の33歳だとすればかなり髪が薄かったことが伺えます。

ただ、後ほど説明しますが杉本嘉昭は飲み歩く生活をしており複数の愛人がいました。自営業であったことを踏まえると生活習慣はかなり乱れており頭皮に悪影響が及び髪が薄くなったことについては納得できます。

>>1992年,町田立てこもり事件犯人渡辺忠幸の顔画像

 

横山一美の顔画像

北九州市病院長殺害事件犯人 横山一美の顔画像

(画像:横山一美)

横山一美のプロフィール
  • 名前:横山 一美(よこやま かずみ)
  • 生年月日:1952年9月5日-1996年7月11日(享年43歳)
  • 出身地:福岡県北九州市戸畑区椎ノ木
  • 職業:飲食店経営(スナック「ピラニア」)
  • 結婚:既婚(子供有)

上記が横山一美の顔画像です。杉本嘉昭同様ネットで出回っているのはこちらの一枚のみ。事件当時横山一美は27歳だったことを踏まえる逮捕から数十年経過して撮影されたものでしょう。一見杉本嘉昭とそっくりのように見えます。

ですが、見比べると顔の大きさや髪の生えているところを見ると違います。顔の雰囲気も杉本嘉昭とは違いやや穏やかな雰囲気があります。殺人を起こすような強面ではありません。

また、横山一美はパーマをあてた髪が特徴であったとのこと。ですが写真を見る限りはその面影もありません。逮捕後にパーマをあてることは無理ですから写真は逮捕以降のものと考えるのが妥当でしょう。

横山一美と杉本嘉昭は顔が似ていることもあり、お互いにお店を経営している境遇など親近感が湧いたのでしょう。杉本嘉昭が横山一美と親交を深めたのも納得です。

1992年町田立てこもり事件,犯人の名前と顔画像

 

「示談金200万獲得から死刑囚に転落」

杉本嘉昭と横山一美が津田薫さんを殺害するまでに至った経緯としては、事件が起きる前に杉本嘉昭が車の追突事故の被害者となり示談金200万を受けとったことが主な原因。

杉本嘉昭は北九州市釣具店を運営しており、債務も抱えながらも運営は順調でした。プライベートでは高級外車を乗り回しスナックに愛人がいるなど生活は公私で充実していたと言えます。しかし、示談金200万円を受けとったことで生活が一変。

元々飲み歩く生活をしていた杉本嘉昭は200万円を得たことで金遣いが荒くなり、高級スナックに通うようになります。次第に店の売上金にも手を出すように。

また、追突事故により杉本嘉昭が入院することとなったのが津田薫さんが院長を務める病院だったのです。そこで二人は知り合いに。杉本嘉昭は保険金を保険会社からだまし取るために都合のいい調書を津田薫さんに書いてもらっていたことも。加えて杉本嘉昭は津田薫さんが資産家であることを度々耳にしていました。

そして、杉本嘉昭は自身が通うスナックを経営していた横山一美と仲良くなり一緒にスナックを飲み歩く仲にまで発展。横山一美は杉本嘉昭の派手な生活を次第に羨まむようになり、杉本嘉昭同様自身が経営するスナックの売上金にまで手を出すようになります。

ただ、そんな生活も長く続かず次第に二人の金は無くなります。しかし、派手な生活で既に働くのがバカらしく感じていた杉本嘉昭と横山一美は大金を得る手段を計画。それは資産家からの強盗でした。

最初は津田薫さんではなく別人の資産家がターゲットになっていたのですが、断念してターゲットになったのが津田薫さんでした。

津田薫さんは北九州の有名な資産家として名を馳せていました。病院経営だけではなく不動産経営もしており資産額は30億以上といわれるほどに。そして、偶然にも津田薫さんは横山一美の経営するスナックの常連客でもあり横山一美と飲み歩く仲だったのです。

こうして偶然の出会いが三人を引き寄せ凶悪な殺害事件と発展していったのです。

1992年町田立てこもり事件,渡辺忠幸の現在

 

横山一美と杉本嘉昭の現在は死刑執行で死亡

アンビリバボー 横山一美と杉本嘉昭の現在は死刑執行

杉本嘉昭と横山一美の現在についてはいずれも1996年に死刑が執行され亡くなっています。殺害された被害者が一人に対して加害者二人に死刑判決が下されて執行されるのは最近だとこの事件だけとのこと。それゆえに判決が厳しいという声もあったようです。

しかし、金銭目的で知人である津田薫院長を殺害。遺体も解体して海に遺棄した残酷かつ凶悪な犯行内容を踏まえると杉本嘉昭と横山一美に対する死刑はとても真っ当な判決と言えます。

北九州病院長殺人の経緯まとめ

1975年:津田薫院長が横山一美が店長を務めるスナックに訪れ知り合う

津田院長と横山一美は一緒に飲み歩く仲に発展

1976年:杉本嘉昭と横山一美が横山の店長を務めるスナックに訪れ知り合う

1978年:杉本嘉昭が追突事故を起こされ津田院長の病院に入院

杉本嘉昭は追突事故により示談金200万を手に入れる

杉本嘉昭は示談金200万で派手な生活を送る

1979年春ごろ:杉本嘉昭と横山一美が再会して仲が深まる

杉本嘉昭と横山一美はやがて豪遊生活に明け暮れる

金が尽き二人は資産家の金銭を狙った強盗を計画

最初の計画が失敗に終わり津田院長にターゲットを変更

1979年11月:杉本嘉昭と横山一美が津田薫院長をスナックに呼び出し

スナックで津田院長に重傷を負わせる

二人は津田院長の妻に2,000万円を持ってこさせるよう電話させる

しかし、金の受けとりに失敗。その後二人は瀕死の津田院長を殺害

二人は逃走して津田院長の遺体を解体して海に遺棄する

1980年:杉本嘉昭と横山一美が逮捕される

1982年:杉本嘉昭と横山一美に対して死刑判決が下される

1986年:二人の死刑が確定

1996年:杉本嘉昭と横山一美の死刑が執行される

町田立てこもり事件犯人,渡辺忠幸の現在(アンビリバボー)

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